戸建て 愛知を復旧させるには?
まさか低劣な技術を糊塗するためではないと思いたいが、有機農産物には「本物の」とか「いのちある」という形容詞が冠せられることが多い。
こういう表現になんの意味もないことは、こう問い返してみればわかる。じゃあ何かい、カゼ薬を飲んだ人間は本物ではないのかね。抗生物質なんか注射したら、いのちある人じゃなくなっちまうのかい。
どうも、こういう思い込みの背景には、農業は自然であるとか、あるいは自然であるべきだという、もう一つの思い込みがあるらしい。
だからこそ「自然農法」なのだ。
福岡正信氏は、「何千年、何万年のあいだに、いつの間にか作られ、人間のあいだに定着している農作物」は「自然発生した食物と考えてさしつかえなかろう」と記しているが、そりゃあないよ、福岡さん。
福岡氏が栽培するイネを基準にして、野生イネ、オリザ・ペレニスまでの距離と、ひとめぼれでも中国のハイブリッド米でもいいが、近代農学が改良した品種までの距離を測れば、形質も、そこに投射された人間の思念においても、前者のほうがはるかに遠いではないか。
他方、ヒトもまた地球の自然生態系が生んだ一つの生物種だから、人間の営為もすべて自然だ、という説がある。
これは論議無用を宣する大正論であって、話が進まなくなる。
そこで、ここでは自然を人為の対立概念と定義する。
したがって、語義にこだわれば「自然農法」というものは存在しない。「何もしない」福岡氏だってイネもムギも種を撒く。
どちらも日本には原生せず、野生種とは別種に見えるほど改良されており、ちっとも自然ではないのだ。
しかし、福岡氏にしる世界救世教にしろ、「自然食品」市場に群がる利にだけ敏いバカ者どもと違って、自然をふりかざして儲けようという気はないのだから、ネーミングにケチをつけるつもりはない。
ただ、農が反自然としてしか存在しえないことは、はっきりさせておこう。
農耕は組織的な自然破壊として始まった植物遷移という言葉をご存じだと思う。
たとえば引き合いに出すのは被災者の方に申し訳ないが、雲仙普賢岳の火砕流が走った跡のような裸地を想定しよう。
火山活動が収まり、人間が干渉しなければ、そこには一年生、二年生の短命な草本植物が生えてくる。
やがてイタドリやススキなどの多年草が加わり、そちらが優勢になって最初に生えた一年草、二年草は姿を消す。
さらに時間が経過すると、クリ、コナラ、アカマツなど、強い陽光を好んで速く生長する陽樹が生える。
一般に陽樹は木本植物としては短命である。
しかし自らが形成した陽樹の森の中では芽生えが抑制され生長が妨げられるため、同じ種の新しい世代と交代することはむずかしい。
代わって、弱い日射でも発芽し生長できるタブノキ、スダジイ、イチイガシなどの陰樹の森が育つ。
陰樹の森では陰樹の種子が芽生え、生長することができるので、親の木が老いて枯死すると同じ種の幼樹が大きく育ち、種の交代は起こらなくなる。
この安定した森を極相林と呼ぶ。
こうした一、二年草←多年草←陽樹林←陰樹林という移り変わりが植物遷移である。
もっとも、気温、降水量、地形、土壌の性質によっては、陽樹林、あるいは多年草草原にとどまることもあるし、もっとも劣悪な条件の場合は、草もほとんど生えない荒原が極相になることもある。
また、同じく極相林といっても緯度や高度によって樹種は違う。
気候が変われば樹種の交代もある。
しかし、どこでも農耕は森を開いて焼き畑として営まれたはずだ。
無農薬ならば「安全」なの力焼き畑は、多くても数回の耕作後には放棄されるので、ふたたび二次的な遷移が始まるが、それでも自然破壊であるにはちがいない。
ましてや常畑や水田となると、遷移を断ち切ってくりかえしくりかえし裸地に戻し、特定の栽培植物に極端に有利な不均衡を人為的に作り出して維持するものだ。
組織的にして継続的、つまりは徹底的な自然破壊である。
作物は遺伝的な奇形病になった植物だ。誰がどこに書いていたかとんと失念してしまったが、自然夢想派のよくあるユートピア幻想のなかに「野生の稲がたわわに実り」という一節があるのを見つけて大笑いしたことがある。
彼または彼女の脳裡には、重い稲穂を垂れた日本の水田風景があり、そんな情景が自然にも存在しうると思い込んだわけだ。
しかし、自然の状態の野生イネは、水田のような単一種の大群落を形成しないし、一穂の粒数が栽培種のように多くないからけっしてたわわには稔らない。
同様のことは、程度の差はあれすべての作物に当てはまる。
たいていの場合、生物としては退化とみなせる突然変異個体を選抜し、自然に任せれば消えてしまうその形質を大事に育て、しだいに可食部を奇形的に肥大化、あるいは軟弱化、弱毒化させてきたものが作物=栽培植物である。
こういう奇形化した植物は、人間が手をかけなければ生きていけない半人造生物だ。
逸出野生化という言葉がある。
栽培植物が人間の管理から離れて土着することをいう。
いま、日本の作物のなかで逸出野生化できるものがどれくらいあるか考えてみよう。
まず、日本で栽培化されたセリ、ミツバ、フキ、ウドは、現在も野生種があるから大丈夫だ。
というより、日本に原生したのはこの程度なのだ。
おそらく史前帰化植物と思われる野生が西日本の離島に見られるからウリ類もたぶん可能だろう。
春の土手を彩る菜の花があることを考えれば、アブラナ科にはいくつか生き残るものがありそうだ。
温泉地や南西諸島以南という特別な条件を加えればサトイモも可能性がある。
原種のノマメは日本にも原生するのでうまく交雑すれば別だが、ダイズの栽培種は無理だろう。
私の知識では、このあたりで尽きてしまった。
日本人が農耕を放棄すれば、これら以外の作物はすべて姿を消すのだ。
こういうものが自然であるわけがない。
雑草も害虫もまた純自然ではない雑草という(概念を表わす)言葉は、世界でもっとも早く1912年に日本で誕生したという。
この言葉は植物学的な概念ではなく、招かれざる客として、農耕地に侵入する植物を指す作物学上のものだ。
日常的には庭や路傍に生えるものも含めていうが、正しくは農耕地以外のものは人里植物でも無農薬ならば「安全」なのである。
どちらにもなりうる種もあり、人里植物のうち農耕地に適応したものが雑草、そのなかで人手を借りて奇形化が進んだのが作物だと考えればよい。
雑草のなかには、いったん栽培化が試みられたが放棄されたものがあるだろうし、ムギの随伴雑草だったナタネのように雑草から作物に「昇格」したものもある。
雑草は農耕をやめればやがて姿を消す。
人里植物の多くも、人間がいなくなれば野草に取って代わられる。
そういう意味で、雑草も人里植物も人間が種を撒くわけではないが、純然たる自然ではなく半自然である。
病源微生物や害虫もまた農耕地と作物に適応したゆえに、ただの微生物、虫に病源や害が付加された。
自然な状態では、彼らは野草と競合的に共存し、よほど特殊なケース以外には大発生などしなかったのだ。
人間にとって彼らは「敵」である。
人間の管理下で生きることを選んだ奇形植物である作物にとってもそうだ。
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