ココナッツクラッシュ(ヤシの実割り) ヘッドロックのような体勢で相手の頭を抱え込み、膝に叩きつけながら前方に倒す大技である。「この技が出ると調子がいいんです」というテレビ解説が見られた。 アトミックドロップ(尾?骨砕き) いわゆる尾てい骨砕き。全盛時によく使っていた技である。 アームブリーカードロップ(腕折落とし) 相手の手首を掴みながら腕にまたがり、そのまま全体重をかけてマットに相手ごと落とす技。かつて上田馬之助とのシングルマッチにてこの技を連発し(6発打っている)、レフェリーストップに追い込んだ事がある。 サーフボードストレッチ(波乗り固め) 相手の背後から仕掛ける。相手の両腕を掴み、背中の方で引っ張り上げて痛めつける。 コブラツイスト(アバラ折り) 馬場の隠れた必殺技。2mを超す長身の為に威力は抜群で、アメリカ遠征中によく使っていた。猪木の得意技だったが、馬場のコブラツイストに対抗するために猪木が卍固めを使い始めたという。1985年のPWF戦でタイガー・ジェット・シンからギブアップを取るなど晩年まで使い続け、「ジャイアント・コブラツイスト」などとも呼ばれた。 ドリル・ア・ホール・パイルドライバー(脳天杭打ち) 相手の頭を自分の股にはさみ、逆さまに持ち上げてそのまま脳天をリングにたたきつける技。 ジャイアント・ニードロップ 倒れている相手にトップロープから膝を落とす。全盛期のフィニッシュ技として好んで用いられた。 ジャイアント・ギロチンドロップ(レッグドロップ) 同じく全盛期のフィニッシュ技。倒れている相手めがけて膝裏を落とす。 ジャイアント・バックブリーカー(巨人式背骨折り) 馬場のオリジナル複合ストレッチ技。スタンディングで後方からコブラクラッチを決め、そのまま相手体を反らせながら自らの片膝をマットに付け、相手の背中を自らの片膝頭に押し付ける。 上記の他、脇固めなど寝技やスロートクロー(タイガー・ジェット・シンのコブラクローに酷似)などの「拷問技」も得意とした。4の字固め、サイドスープレックス、スモールパッケージホールドなどの技も使っているほか、1965年頃にはジャーマン・スープレックスやパワースラムを使ったこともある。晩年は流行技やライバル・弟子の得意技をまねて用いることも多く、およそ馬場の技は外見上なんら変わりがなくとも冠に「ジャイアント」と付いて独自の必殺技としてファン・マスコミに認識された。「ジャイアントラリアット」「ジャイアントT」などはその典型例である。また、スタン・ハンセンとのタッグ時のみ限定で、十六文キックとウエスタン・ラリアートを組み合わせた「ジャイアント・コンビネーション(後述)」も披露した。アンドレ・ザ・ジャイアントと組んだ時は十六文からアンドレのエルボードロップ、ラッシャー木村と組んだ場合は十六文と木村のラッシングラリアットというコンビネーション(通称・十六文ラリアット)になった。 ■その他のツープラトン技 ジャイアント・コンビネーション・A石垣ホテル・石垣島宿泊 ハンセンが相手をハンマースルーし、そこに馬場が十六文キックを叩き込む。その後、馬場が弱った相手を再度ハンマースルーし、そこにハンセンがウエスタン・ラリアートを叩き込む。 ジャイアント・コンビネーション・B ハンセンが相手をハンマースルーし、そこに馬場が十六文キックを叩き込む。その後、弱った相手が振り返った瞬間に、ハンセンがウエスタン・ラリアートを叩き込む。Aよりも、技の回避が難しい。 主な戦績 1960年9月30日、田中米太郎とのシングル戦でデビュー、股さきで勝利。 1961年5月25日、猪木寛至(後のアントニオ猪木)と初対決、フルネルソンで勝利。 1964年5月29日、豊登とタッグを組み、ジン・キニスキー、C・ハリケーンと対戦し勝利。アジアタッグ選手権王者に就く(初のタイトル奪取)。 1965年11月24日、ディック・ザ・ブルーザーと対戦し勝利。インターナショナル・ヘビー級王座を獲得。 1966年11月5日、吉村道明と組んでフリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシス組を破りインターナショナル・タッグ王座を奪取。札幌 ビジネスホテル 1967年10月31日、アントニオ猪木と組み、T・タイラー、B・ワット組と対戦し勝利。インターナショナル・タッグ選手権を奪回。(BI砲初タイトル) 1968年6月27日、ボボ・ブラジルを三十二文ドロップキック三連発で破り、2日前に奪われたインターナショナル王座を奪還。 1971年12月7日、アントニオ猪木とタッグを組んでの最後のタイトル戦。ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組に敗れる。 1973年2月27日、ボボ・ブラジルを破り世界ヘビー級争覇戦8勝2引き分けの成績で初代PWF世界ヘビー級王者(後に「世界」を外してPWFヘビー級王座に改称)に認定される。北海道旅行 1973年10月9日、ジャンボ鶴田との初タッグ。ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組の持つインターナショナル・タッグ王座に挑戦したが、引き分けて奪取ならず。 1974年12月2日、ジャック・ブリスコと対戦。60分3本勝負、2-1でブリスコを下し、NWA世界ヘビー級王座を獲得。日本人選手初。 1979年10月31日、ハーリー・レイスと対戦。60分1本勝負、1-0でレイスを下し、NWA世界ヘビー級王座に再度就く。 1980年9月4日、ハーリー・レイスと対戦。60分1本勝負、1-0でレイスを下し、NWA世界ヘビー級王座に三度就く。沖縄旅行 1985年7月30日スタン・ハンセンと対戦。60分1本勝負、0-1でハンセンに敗れPWFヘビー級王座から陥落。これを最後にタイトル争いの第一線から撤退。 1990年4月13日アンドレ・ザ・ジャイアントとの大巨人コンビが実現。東京ドームでの日米レスリングサミットでザ・デモリッションズを破る。 1994年3月5日「夢のカード」と題して、長年のライバルスタン・ハンセンとタッグを組み、三沢光晴・小橋健太組と対戦。10年ぶりに日本武道館でのメインイベントに登場。三沢にフォールを喫するも、大きな感動をファンに与えた。 1998年12月5日、日本武道館でラッシャー木村、百田光雄と組んで渕正信、永源遙、菊池毅組と対戦。これが生涯最後の試合となった。 獲得タイトル NWA世界ヘビー級王座…第49代(防衛1回)、第55代(防衛1回)、第57代(防衛0回) インターナショナル・ヘビー級王座…第3代(防衛21回)、第5代(防衛18回)、第7代(防衛10回) PWFヘビー級王座…初代(防衛38回)、第5代(防衛15回)、第7代(防衛3回)、第9代(防衛3回) アジアヘビー級王座…第6代王者。大木金太郎から奪取したが、1度も防衛戦を行わずに返上。 インターナショナル・タッグ王座…12度獲得。 o 第7代 (防衛7回)…パートナーは吉村道明 o 第9代(防衛0回)、10代(防衛11回)、12代(防衛4回)、14代(防衛14回)…パートナーはアントニオ猪木。 o 第16代(防衛2回)…パートナーは坂口征二。 o 第23代(防衛12回)、25代(防衛2回)、27代(防衛9回)、29代(防衛19回)、31代(防衛1回)、33代(防衛4回)…パートナーはジャンボ鶴田。 アジアタッグ王座…3度獲得。 o 第11代(防衛7回)、13代(防衛3回)…パートナーは豊登。 o 第17代(防衛4回)…パートナーは吉村道明。4度の防衛後、馬場がインター二冠王になったため王座を返上した。高速バス NWA世界タッグ(デトロイト版)…1度獲得。 o 歴代は不明(防衛0回)…パートナーはジャンボ鶴田。1度も防衛を行わずにタイトルを返上した。 チャンピオン・カーニバル…7度優勝。 o 1973年、1974年、1975年、1977年、1978年、1981年、1982年。 人物・エピソード湘南 不動産 この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。このタグは2007年9月に貼付されました。 この節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。